九州大学の歴史と女性

佐喜本 愛(九州産業大学専任講師/博士(教育学)

九州帝国大学に女性が初めて入学したのは1925年のことである。ここでは「九州大学の歴史と女性」と題して、女人禁制とされた帝国大学の門戸が女性に開放された経緯と、その中で学んだ九州帝国大学の女性たちについて紐解くこととする。

福岡日日新聞(1925年4月16日付)

『福岡日日新聞』(1925年4月16日付)

九州帝国大学の成立

日本に近代大学が成立したのは明治初期であった。明治政府は西洋の進んだ科学技術や思想を導入するために各省ごとに学校を整備させたが、その中で文部省所管の大学を東京大学と称していた(1877(明治10)年)。この東京大学は制度的未整備や他省の優れた教育機関の存在もあり、必ずしも日本の最高峰の位置づけではなかった。しかし1886(明治19)年にそれらの学校群が帝国大学として統一されると、東京大学を前身とする帝国大学は最高の威信を持つ機関となった。

この帝国大学を構想した重要人物が初代文部大臣森有礼であった。森は帝国大学を頂点とした国家主義教育を構想し、それを具体化した「帝国大学令」において帝国大学の目的を明確に示した。すなわち、「帝国」の名が示すとおり帝国大学は「官立」の大学であり、「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス」[帝国大学令(明治19年勅令第三号)第1条]とあるように、そこにおける研究や教育はあくまで国家に有用なものでなければならなかった。そうした目的のもと帝国大学は他の学校種とは異なる「学問ノ場所」として峻別されていた。ここに大学の歴史的意義が見て取れるだろう。

この帝国大学は当初、東京のみに設置されていたが、資本主義経済の発展により高等教育修了者の需要が増し、帝国大学への進学希望者が増え続けた状況を受けて、政府は1897(明治30)年、京都に京都帝国大学を、そしてその後、宮城に東北帝国大学を増設した。こうした流れの中で、九州には1903(明治36)年4月、京都帝国大学福岡医科大学が福岡に設置された。その後、日露戦争を経て一層の高等教育機関増設の要求が強くなった1911年、この福岡医科大学に新設の工科大学を合併させる形で法令上第4番目の帝国大学として九州帝国大学が創設された。九州帝国大学の誕生である。

ただし、九州帝国大学は先行する東大、京大と比べれば大学としての規模、性格に大きな違いが見られた。例えば、東北・九州にはいわゆる法文系の分科大学が一つも置かれておらず、東北・九州帝大に法文学部が設置されるのは、それぞれ1922(大正11)年、1924(大正13)年になってからであった。近代国家の建設、発展にとって有用な学問として科学技術系(理・工・医)の学問が重視され、高い威信を持った日本では東京・京都以降に作られた後発の帝国大学は概ね科学技術系の高等教育機関として設立されたのであった。

1886(明治19)年 東京帝国大学 法・医・工・文・理・(経)
1897(明治30)年 京都帝国大学 法・医・文・理工・(経)
1907(明治40)年 東北帝国大学 理・農・(法文)
1911(明治44)年 九州帝国大学 医・工・(法文)
1918(大正 7)年 北海道帝国大学 理・工・医・農
1924(大正13)年 京城帝国大学 理・工・医・法文
1928(昭和 3)年 台北帝国大学 理・工・医・農・文政
1931(昭和 6)年 大阪帝国大学 理・工・医
1939(昭和14)年 名古屋帝国大学 理・工・医