インタビュー / エッセイ

2017-06-12

ダイバーシティニュース新連載企画「九州大学で活躍する女性研究者」(第1回)

伊藤 早苗(専門:プラズマ物理)
(日時:2017年5月11日(木)午後 場所:九州大学 椎木講堂 理事室)


 男女共同参画推進室では発行しているダイバーシティニュースの新企画として2017年6月発行の第12号から九州大学で活躍している女性研究者を紹介するインタビューの連載を開始しました。
 第1回は「高温プラズマの異常輸送と遷移過程の研究」をテーマに国際的に活躍され、
国内外の数多くの学術賞を受賞されている伊藤早苗先生です。研究者としての歩みやご自身の経験から次の世代に伝えたいことについてお話を伺いました。ダイバーシティニュースの紙面では概要のみご紹介していますが、ここでは全体のインタビューを掲載します。


 


■研究者への道のり

-----研究者になりたいと思われたのはいつごろでしょうか


 小学校6年生のときに『キュリー夫人伝』を読みました。小学生が読んだ本ですからそんなに難しい話ではないと思うのですが、それを読んだときに、ふっと「私、物理学者になる」と思ったのです。
 大学は物理学科に入りましたが、母からは「ひとりで生きる必要はないが、ひとりで生きる能力は持っていなければならない」と言われて、それならばと教職免許も取りました。それでも大学院に行きたい、研究者になりたいと思っていました。
私の研究テーマはプラズマ物理です。大学院に進学するときに当時アメリカのプリンストン大学にいらした吉川庄一先生が日本にお戻りになって、その時に「プラズマ」というものを知り、そこで「プラズマを研究するんだ」と、ふっと思いました。


-----学生時代はどのように研究に取り組まれましたか?


 私たちの学年はすごく面白くて、東大の物理というと、素粒子物理に進む人が多かったのですが、私たちの学年は素粒子ではなく物性系等に進みました。物性系もしくは原子核系です。
 学部生60~70人のうち、10人以上が大学の教員になりました。それも素粒子のみではなく他の分野に別れたので、いろいろな大学に散らばっています。だからダイバーシティですね。そういう意味では多様な対応をすることがいかに大事かというのをもしかしたら体得したのかもしれません。
 大学時代には国際会議に出て発表したいとか、そういうモチベーションがありました。何となく解るけれども、理路整然と理解できたという気がしないということがあり、いまだにそれは続いています。私は直感型なので、順々にというよりは、ぽっと解るのです。ぽっと解るのですが、その途中がつなげない。だからすぐ連想して「こうなるはずだ」と、そこから後ろに戻る感じです。普通、勉強家の人はワンステップずつ積み重ねていくと聞きますが、そういうタイプではなかったようです。
 大学院時代、吉川庄一先生は1年でアメリカに戻られて、大学院の残り4年間は指導する先生がいない状況で過ごしました。それでも論文を書いてとにかく自分の存在を証明するという感じでした。研究者の最初のころから自立しないといけませんでした。そのまま一生懸命やっていると、周囲の先生方も「できるのだったらやらせてあげる」と、放っておいてくださいました。
 自分で論文を書き出したので、論文の数を増やす、枚数を増やすということを最初はチャレンジしていました。


-----当時はアメリカの吉川先生と手紙などで指導を受けられたのでしょうか


 全くそういうことはありませんでした。修士論文の発表会の日まで戻ってこられず、戻ったとたん「はい、発表してください」という感じでした。
 そこで全部自分たちでやりました。4~5人いたのですが、みんなどうにか研究を続けました。何人かは、博士課程は他の先生の指導を受けましたが、数人はそのまま残りました。



■研究プロジェクトとの関わり方

-----ではここ10年くらいの話に移ります。九州大学では専門分野において極めて高い業績があり、先導的な役割を担う研究者に「主幹教授」の称号を付与する制度があります。この主幹教授の名称を付与された研究者は、2009年の制度創設以来既に70名を超えますが、女性は先生だけですね。


 主幹教授制度は、科研費の特別研究推進や基盤Sのような大きなプロジェクトを獲得することが条件となっています。大きなプロジェクトの獲得は賭けのような面もあり、私も偶然だったような気がしています。


-----先生は研究プロジェクトにはどのように関わられたのでしょうか。


 大きな予算を管理するような、いわゆるプロジェクトのマネジメントみたいなところは経験のある方、得意な方に任せて、研究内容のプロデューサーのようなことをやりました。何を目的に、何をどのように進めるか、ということですね。
 私は学問を進める方向性は何だろうと考え、研究費を実験装置そのものではなくて、診断・計測系にたくさん使いました。当時は予算がついても、実験装置を作るのにお金がかかり、その後の装置で測るところまでは予算がまわらないという事例が多かったのです。そこで、装置自体はそれほど高価ではないけれども、計測系をしっかり充実させました。
 私の場合は特に物理を解明することがミッションだったので、計測データがないと、装置だけ動かしても当てが外れてしまうところがあります。そこでなるべく物理現象が可視化できるようにしました。


-----確か実験装置名はPANTAでしたね


 PANTAというのは万能とか万物を意味しパンタグラフのPANTAです。「万物流転す」というヘラクレイトスの言葉がギリシャにあります。科学のオリジンは二つあるといわれていて、一つは究極の元素を調べる、もう一つが万物流転の法則、つまり、いろいろ変わりゆく様を調べるというのがギリシャ時代の科学の二つの道だったのです。万物流転の法則、万物が流れ転がる、それを「パンタ・レイ」といいます。その「パンタ・レイ」のパンタを装置の名前に付けました。装置の中でプラズマというのはまた結構いろいろな動きをするので、どのように変化するかを解明するため高温プラズマ発生装置PANTAを使って計測しました。


■挑戦してほしい

-----長年最前線で活躍されてきましたが、研究者として次世代に伝えたいことは何でしょうか。


 挑戦してほしい。それで投げ出さないでほしい。あと、自分を顕示することです。例えば国際会議に出るとか、そういうところを強く出していく。奥に引っ込まないで前に出ていくということです。
 若いころの国際会議での話です。出席したにもかかわらず、なかなか質問ができなかった。それで、目をつぶって手を挙げたのですが、指されてしまって。それでも一生懸命、声は震えながらも質問しました。とにかく発表して解ってもらわないと。
若い人に訴えたいのですが、まず怖がらずに挑戦しなくてはいけません。国際会議でも発表することです。なかなか質問できないので、質問は書いておく。最初に聞く前に勉強して、ここではこれを質問する。別の人に先を越されてしまったら次の質問ということで、大体ここだったら質問しても大丈夫だろうというところを狙って質問するのです。若い頃よくやりましたね。
 何事も挑戦です。失敗するというのはすごく得なのです。次にどうすれば良いか分かるから。何事もやらなかったら勿体ないと思います。臆せず、失敗するなら失敗するで勉強になりますから、やった方がいいと思います。これは私より若い人たち全員に伝えたいですね。
 私の好きな言葉は「チャレンジ」と「チャンス」です。


-----先生は、プロバンス大学の名誉博士号を授与されるなど、海外でも広く活躍されています。日本では物理分野で女性はマイノリティだと思いますが、海外では日本に比べて女性は多いでしょうか。


 確かに女性は日本に比べるとすごく多いです。ロシアではそれほど大掛かりではない物理実験に手先の器用さなどの点で女性が活躍しています。ヨーロッパでも日本よりは多いですね。アジアの場合は性別役割分担的な意識が影響しているのかもしれません。
 将来的には日本も女性であるということを意識することなく、自然に溶け込みながら活躍できるようになればいいなと思います。


■気分転換/Work Life Balance

-----ワークライフバランスが最近注目されていますが、気分転換になさることや、休日の過ごし方などお話しいただけますか。


 気分転換はなかなかできないです。歩き回ることぐらい、ウォーキングです。それと、先日の連休はバスでちょっとした旅をしました。
 この近辺でバスに乗って終点まで行って、「このバスに乗りますから」と運転手さんにことわっておいて、10分ぐらいで戻ってきてそのまま同じバスで帰ってくることもあります。以前だったら歩いたのですが、最近はバスに乗ることも楽しんでいます。
 外に出て自然を見て歩くことが比較的好きですね。自然科学者ですから。


-----本日は長時間のインタビュー有難うございました。



【インタビューを終えて】
 キュリー夫人伝を読んで、「私、物理学者になる」との直感が現実となり、研究面でもその直感が多くの成果に結びついています。直感型で行動的でありながら几帳面な研究者としての基本姿勢を見せて頂いたような気がします。
 研究者だけでなく、すべての人に通じる「挑戦してほしい」との激励の言葉も有難うございました。
                         (聞き手 男女共同参画推進室 上瀧恵里子)