インタビュー / エッセイ

2018-03-01

ダイバーシティニュース連載企画「九州大学で活躍する女性研究者」(第4回)
福田 千鶴(専門:日本近世史)
(日時:2018年1月17日(水)午後 場所:九州大学センター3号館)

男女共同参画推進室では、3か月ごとに発行しているダイバーシティニュースの企画として九州大学で活躍している女性研究者を紹介するインタビューの連載を行っています。
第4回は、日本近世史をご専門とし、文部科学省の科研費基盤研究(A)の研究代表者を務める福田千鶴先生です。研究内容やワーク・ライフ・バランスに関してのお話を伺いました。ダイバーシティニュースでは概要のみをご紹介しておりますが、ここでは全体のインタビューを掲載します。





――先生は日本近世史がご専門ですが、具体的にはどの時代のご研究がメインなのですか。

江戸時代です。いつからいつまでかというのは研究者によって見解が違いますが、私は豊臣秀吉の時代から徳川十五代将軍が終わるところまでを考えています。今年は明治維新150年ということで大変盛り上がっていますね。NHK大河ドラマでも『西郷どん』が始まり、幕末維新に注目が集まっていますが、私はどちらかというと(江戸時代の)前期の方、豊臣から徳川に変わるあたりが専門ですので、今年はお呼びがないと思っています(笑)。


――西日本新聞でも歴史のコラムを執筆されていますよね。

もともと卒論で黒田家の御家騒動である黒田騒動を取り上げました。江戸時代の福岡藩の研究を進めていることもあり、書かせていただいております。不定期に掲載される歴史エッセイ風の記事ですが、福岡や博多の歴史がわかると好評なようです。


――今は新しいご研究にも取り組んでいらっしゃるそうですが。

文部科学省の科研費基盤研究Aをいただいて、鷹狩りの研究を進めています。鷹狩り文化が日本の政治経済や環境に与えた歴史的な役割の研究で、歴史学としては新しい分野の開拓になるところが評価されたのではないでしょうか。日本の放鷹(ほうよう)制度は古代から天皇の権限として行われてきたわけですが、明治維新になると廃れていきます。ただ世界的には今でもアラブの王様が飛行機の多くの座席を貸し切って鷹を移動させるなど、アラブでは王権のもとで鷹狩り保存が進められています。欧米でも大変注目されていて、世界的に広がりのあるテーマでもあります。


――どういうきっかけで鷹狩りの研究を始められたのですか。


御家騒動を分析していくと、必ずといってよいほど鷹が出てきます。なぜなら、鷹は王権や領主権の象徴だからです。江戸時代前期には将軍や大名が家臣の鷹狩り権を否定することによって自己の領主権を確立していくようになります。鷹狩りに象徴される領主権を否定された家臣たちとの対立が、御家騒動につながっていくというわけです。もともとは天皇の権限だった鷹狩りを武家が掌握していくようになったのも、豊臣から徳川にかけての時代なのです。
2017年12月にアラブ首長国連邦のアブダビで世界各国から鷹匠や鷹の研究者が集まる鷹狩りフェスティバルというイベントがあり、それに参加してきました。ひと言で鷹狩りといっても、地域によって環境が違いますので、それぞれに適応して発展しました。砂漠の多いアラブでは、世界一速く飛ぶことのできる隼を使いますし、モンゴルでは騎馬狩猟民が馬に乗りながら鷲を使って狩りを行います。鷹狩りの発祥はモンゴルだと言われていますが、それがどのようにして日本に伝わったのかも今後の研究の中で明らかになってくると思います。現在は日本全国の25名ほどの古代から近世の研究者が集まって、日本列島上における鷹狩りの研究を進めています。WEBで「鷹・鷹場・環境」で検索していただければ、当研究会のサイトが出てきますので、ぜひご覧になってください。


​――実際に歴史学のご研究はどのようにして進めていらっしゃいますか。ご研究を進めるにあたってご苦労されている点などがあれば教えてください。

歴史学は一人前になるまでにすごく時間がかかる学問です。日本の場合は古文書や古記録がたくさん残っていて、特に江戸時代に関してはいまだに学界未見の史料が出てくる世界です。その中から自分が取り組みたいテーマに関わる資料を可能な限り集めることが必須ですが、実際に全ての資料を集めるのは不可能なので、ある程度集まったところで論文なりを発表することになります。論文発表後に、新しい資料が出てきて、まったく逆のことが書いてあれば論証が完全に崩れてしまうリスクがあります。それを避けるために、いつ論文を発表するか、二の足を踏んでしまう難しさがありますね。逆に推定で書いた自分の論証が新出文書によって立証されれば、自分の歴史観が正しかったことになり、大きな達成感を得られることになります。要するに、見えない部分をいかに見るか。これが歴史研究者の資質として強く求められるところだと思います。実際に、ジグソーパズルの1個のピースを見ただけで、そのパズルの全体像が描けるような優れた研究者もいらっしゃいます。その推論の部分が荒唐無稽なものとならないように、幅広い資料を読んで史料批判を繰り返し、獲得した史実の蓄積のうえに、自己の歴史観が開陳されているからです。とはいえ、史料が存在しなければ歴史学は成立しませんので、どこに行けばどのような史料が伝来しているかというような史料所在情報をもっていることも重要です。今ならば、旧大名家の文書群はどこにいけば閲覧できるという情報が頭の中にはいっていますので、苦労は少なくなりましたが、最初はまさに暗中模索の状況でした。ですから、単に史料が解読できれば歴史研究者になれるわけではありません。史料を探し出してくる嗅覚も必要ですし、しかもその情報収集量は半端では有りません。蔵書の数も際限なしです。本当にコストパフォーマンスの悪い世界ですね(笑)。

――これまで女性研究者としてご苦労された点などはありますか。

私が大学を卒業した翌年に男女雇用機会均等法が施行されました。これから女性を社会で積極的に活躍させていこうという時代でした。ただ、それはまだまだ絵に描いた餅で、大学院に進みたいと当時の教授に相談したら「女性は研究者にはなれないから」とはっきり言われました。今ならハラスメントですね。しかし、当時はそれが当たり前の考え方だったんです。それで私は地元の銀行に就職するわけですが、3年3ヶ月で辞めて改めて大学院を受け直しました。その4年近くの歳月があればもう少し論文が書けたかなとも思いますが、社会人を経験したことは決して悪いことではなかったとも思っています。
ただ、今でも歴史学界は基本的には男性社会で、女性の研究者は本当に少ないです。TVの歴史番組で解説されている方は、ほとんど男性です。九州大学の人文系で歴史の日本人教員は、西洋史や東洋史を含めても私一人という寂しさです。


――それだけの男性社会の中でのご苦労は大きかったのではないでしょうか。

苦労というよりは、行く先々でいらない心配をしていただきました。「男でも研究者になるのは難しいのに、まして女が研究者になれるはずもない。どうするつもりだ」って(笑)。大きなお世話ですよ。
今は大学の人事はほとんどが公募ですが、私が国文学研究資料館・史料館に就職した時は、面接なしの一本釣りでした。ただ、先方では事前にかなり人物調査をされたそうです。私の周りの関係者に話を聞くと、皆さん「とてもいい方ですよ」と口を揃えて褒めていただいたそうです。それを知らない私は、面接もしてないのに不思議だなと思いながら採用が決まった報告にいきますと、今度は皆さん大きな口を開けておられました。てっきりお見合いの話だと思ったから褒めたんだ・・・と。それだけ周りは私が研究者になることは全く想定しておらず、お嫁に行けば円満解決だと思い込んでいたわけですが、結果的にジェンダーバイアスを逆手に取った形で就職できたという笑い話です。

他にも、講師として講演会に行ったときのこと。接待してくださる方々が皆さん男性で、私が女一人で上座に座っていたら、御座敷の中居さんに「どうして女がそんな場所に座っているのか」と怒られたこともありました。旧家に行って文書を見せていただく際にも「女には触らせない」と言われたこともありましたね。肩書きを見せればご理解いただけるのですが、男女に限らず、「女はこうあるべき」という対応をされて苦労したことは数えきれません。そうは言っても、私たちより一世代前の女性の先輩たちが大きく切り拓いてくださったところがありますので、男女雇用機会均等法後に社会に出た私たちの世代は、まだ楽な苦労だったと思います。


――先生ご自身のワークライフバランスについて、どのような時間のマネージメントをされていますか。


若い頃の時間配分と今の時間配分は随分違いますね。若い頃はなりふり構わず、いただいた仕事は御断りしないようにしていましたが、40代になると自分ができることはここまでだという限界がみえてくるようになります。まさに不惑の年ですね。ですから、今は優先順位をしっかりつけています。​30代半ばに米国ハーバード大学に1年ほど在外研修に行きました。そこで、アメリカの友人が実行していたTo Doリストをみて、私もまねしています。自分がやるべきことの優先順位をつけて箇条書きにしたTo Do リストを作り、終わったら次々に消していくというものです。マジックでざっと消す時の達成感もありますし、「余力があればここまで消してしまおう」というやる気もでますし、いつまでたっても消えないものは、やめる決断にもなりますので、そこで新しくTo Do リストを作り直します。その年代に応じた時間の使い方があると思いますし、それが自分で見えてくるまでは、自分に限界を作らず、幅を広げてほしいですね。


――それでも鷹狩りの研究を始めるなど、新しいことにチャレンジされていますよね。​

鷹狩りの研究は、自分の幅を広げたチャレンジというよりも、これまで広げてきたテーマを整理した結果だと思っています。今回の科研費のテーマを決める時に自分が大切にしてきたテーマの中から何を最後に選ぼうかと考えたのですが、やはり今後の歴史学界の基盤を作る研究でなければならないと思いました。それが卒業論文を書いて以来、ずっと胸の中で温めてきた鷹狩りだったわけです。


――話は変わりますが、部局ごとに女性の割合を見ると、人文科学研究院の女性教員は11%で、教授は8%です。人文系は女性の学生の比率が多いのですが、准教授や教授の女性比率は非常に少なくなります。今後、人文系で女性の教員や研究者が増えるにはどうしたらいいと思いますか。

これからは確実に増えてくると思っています。私たちの世代は大学院に進学する女性がそもそも少なかったので、私と同世代で教授になっている人は確かに少ないと思います。まずは、私の出身である九州大学文学部に、九大文学部卒の一人前の女性教授が誕生してほしいですね。私は大学院の人文科学府にかかわるだけで、学部にはかかわりませんので、半人前なのです(笑)。

今の若い人は本当に恵まれていると思います。いろいろなサポートも受けられるし、産休だってありますよね。それでも研究者になる女性が少ないとすれば、やはり女性が研究を続けることの困難な現実がそうさせるのでしょう。だからこそ、研究は「楽しい」ということをもっと示していく必要があると思います。もちろん研究の過程では辛いことや忍耐の連続ですが、それを乗り越えた先には「楽しい」と思える瞬間が必ずあります。だから、その楽しさを忘れないで乗り越えてほしい、と伝えたいのです。

要するに、結婚して子育てをしながら、研究を続けたいというモチベーションを持ち続けられるかどうか。結局は、これが最大の問題だと思います。もちろん周りの理解も大切ですが、女性自身が「研究が楽しい、研究をやりたい」という気持ちを持ち続けられるように、われわれ草分け世代が夢を与えられるようなロールモデルをもっと示していければいいなと思います。

先日、小学生が将来なりたい職業で、久々に男子では学者が1位に返り咲いたという記事が新聞に載っていました。なのに、女子では学者はランクインもしていないんです。小学生の頃から学者になりたいと思う女子が増えるように、そうした年齢層にも研究の楽しさを伝えていきたいですね。


――最後に若手の女性研究者に向けたアドバイスやメッセージをお願いします。

一番大切にしてほしいのはネットワークを作るということです。特に人文系の学問は基本的に個人ワークなので、どうしても自分の殻の中に閉じこもりがちですし、男性社会のなかで孤立しがちです。が、いろいろな人とのつながりを大事にしていれば、共同研究に誘ってもらったり、仕事を紹介してくれたりなど、必ずプラスになります。それが将来的には大きな研究組織を作ることにもつながっていきます。

また、理系では当たり前かもしれませんが、人文系でも外国語で成果を発表することを意識的にしてほしいと思います。それが確実にキャリアアップにつながります。

最後に、ジェンダーバイアスはいろいろなところに転がっているので、それをうまく利用するくらいの気持ちを持ってほしいですね。女性の強みは発想力がとても豊かなところだと思いますので、女性であることは絶対にマイナスではない、という強い気持ちを持って取り組んでいってほしいと願っています。