インタビュー / エッセイ

2011-04-07

男女共同参画社会づくりに向けて

 

大野城まどかぴあ 館長  林田 スマ

 

 

 私がまだ子どもの頃、明治生まれの祖母が呟いた言葉が今も耳に残っている。祖母の傍で台所仕事を手伝っているとき、「女は歯痒いことが多いね」と言った。そして、「弟は東大を出て、東京で頑張っとる。『お前は男だから大学に行け、お前は女だから女学校を出たらお茶やお花や裁縫を学んで嫁にいくのだ』と親にいわれてね、おばあちゃんはここに嫁にきたとよ。通信簿は弟より私の方が良かったとに、女だから・・・」と、弟の活躍を喜びながらもちょっと悔しそうに私に話したことがある。しっかり者の祖母のめずらしい弱音だったような気がする。

 

 子どもの私から見ても、祖母は家の中でいろいろなことをてきぱきとこなしていた。醤油醸造業という多くの住み込みの人々を抱えた忙しさの中で若い人を育て、帳場にもかかわり、料理の手際は抜群だった。巻紙にすらすらと筆を走らせる祖母の姿もいいものだった。しかし、何か大事な決めごとになると、祖母は祖父に従い、母も父の言う通りに物事を進めていたように思う。

 

 そして、母は私に「あんたは女なんだから、結婚する時は仕事を辞めなさいよ。家に入って、おとなしく旦那さんに従って、いいお母さんになるとよ」といつも言っていた。男は外で仕事、女は家で家事育児という性別役割分担意識は当たり前の時代、私は良妻賢母になることをずっと心の中に描いていた。

 

 私が生まれたのは1947年、日本国憲法施行で、結婚は両性の合意のみでできるようになった年。同じ年改正民法公布で家制度が廃止になる。そして、1953年、電化元年。噴流式洗濯機や電気冷蔵庫などが開発発売された。1962年、女子学生亡国論が起こる。戦後男女共学になった大学に女子学生が増えたことを嘆いた男性教授らの論調とも言われている。1970年、ウーマンリブ運動が起こりピンクヘルメットの「中ピ連」が有名になった。1975年、国際婦人年。ここから男女共同参画の学びが始まることになる。

 

 私は1971年何の迷いもなくRKBのアナウンサーを辞めて結婚し、憧れの専業主婦になった。しかし、日々家の中で家事と子育てのみに追われながら、心の中に何とも言えない虚無感が漂った。忙しいのだが何か物足りない、自分がこのまま抜け殻のようになっていくのではないかという不安におそわれる。このまま社会から取り残されて、この家の中だけでお婆さんになっていくのは嫌だと心の中で何度も叫んでいた。

 

 1980年、幸いなことに夫の仕事の都合で福岡に帰ってきて、33歳からアナウンサーの仕事に復帰し、私は働くことと生きることの喜びを手に入れることができた。アナウンサーの仕事を続けながら、大野城まどかぴあのオープンとともに男女平等推進センターに関わってもう16年目になる。男女共同参画社会づくりに向けての学びと取り組みを続けてきたが、この間に世の中が大きく変わったと思うこともあれば、まだまだという思いも強く残る。男女共同参画という言葉に対しての誤解や反感がまだ根強いことも事実だ。しかし、男性も女性もその人らしく生きることを大切にしながら、そのことを誰からも邪魔されない、共に居心地のよい社会をつくろうという活動は地道に続けていきたいと日々考えている。

 

 1984年、働く既婚女性が専業主婦を上回る。1986年、男女雇用機会均等法施行。1993年、パートタイム労働法施行。1999年、男女共同参画社会基本法施行。2001年、配偶者暴力防止法施行。そして、男女共同参画社会基本法のもと各自治体でも次々と条例が施行されている。

 

 こうして、法の整備は着実に進み、男女共同参画社会はセカンドステージに入っているといわれるものの、現実には様々な問題が山積している。女性たちが起業したり、出産後も仕事を継続したり、自分の人生について積極的に考え行動する姿が目立つが、困難も多い。DV、セクハラ、パワハラ等々、被害者はほとんどが女性である。

 

 そんな中で、女性たちが諦めることなく軽やかに仕事も結婚も子育ても趣味も、望むことをのびのびと実現できる社会づくりが求められる。両立を可能にするためには女性の自覚はもちろんのこと、男性たちの意識を変えることも必要であり、そのことが大きな課題でもある。しかし、意識改革が一番難しく、簡単にいかないことに直面し思い悩むことも多い。

 

 そこで、気づきの風を送ることから始めてみようと、数年前からまどかぴあ男女平等推進センターでは楽しく誰でも参加したくなるコンサートを企画した。南こうせつや海援隊のフォークコンサートと男女共同参画とどういう関係があるのかといわれそうだが、とにかく会場に来てもらい何か気づいてもらうことから始めようと割安の男女ペアー券を作った。狙い通り意識改革をして欲しい男性の来場が多く、私はコンサート開始前に満席の来場者に向けてコンサートの主旨と男女共同参画への思いを3分程で語らせてもらうことにした。「皆さん、男女共同参画への動きというのは嫌なことではありません。誰もが居心地のよい社会づくりなのです。男性だって頑張りすぎなくていいのです、女性も諦めずに自分らしい人生を手に入れて、共に支え合ういい社会をつくろうというものです」と挨拶、南こうせつさんの力強い歌声と「共に輝こう、楽しくやろうよ!」というメッセージに会場はゆっくりとひとつになった。

 

 アンケート用紙に綴られた言葉は「大満足!」「共に輝くことは必要だ」「元気が出た、隣の女房と上手くやっていくよ」「諦めない」「男女共同参画ってイヤなことじゃないってことがわかった」「来年もやってくれ、女房ときっと来る!」・・・。男女共同参画という言葉に嫌悪感さえあらわす男性たちに少しは理解を得ることができたのではないかと思う。勿論、学習会も定期的に行っているが、男女共同参画についての考え方にはまだ大きな温度差があるのも事実だ。

 

 今、日本社会は様々な意味で格差が広がっている。強者と弱者、まだまだ女性たちが入り口で差別されたり不当な扱いを受け弱者になることが多い。このような現実を解消し、誰もがもっと活き活きと活躍できる場を広げていかなければならない。このところ、新人研修の現場などに立ち会うと女性たちの元気に感動することが多い。企業でも女性の営業職や技術職が増えて、管理職にも名を連ねるようになっている。しかし、まだまだというのが現実である。

 

 また、国が憲章をつくり取り組みを続けているワーク・ライフ・バランスにしても、まだ道半ばだ。「長時間労働が美徳」という意識が強い企業の体質改善と個人の意識改革が進まなければならない。働くこと、学ぶこと、楽しむこと、付き合うこと、地域活動に参加すること、そして家事育児をすること等多くのことに関わることが生きる喜びにつながる筈だ。男性も女性も、どちらもその人らしい人生を選択し、働くことと生きることに喜びを感じられれば幸せだと思う。私たちの意識や暮らし方が次なる世代の生き方に大きな影響を与えるのだとすれば、私たちがもっと考え変わらなければならない。

 

 振り返ってみると、祖母はあのとき私に「これからは女の人も頑張らなければいけないよ!」と言いたかったのかもしれないと勝手に理解し、誰もが歯痒い思いをしなくてよい社会の実現をめざしたいと考えている。

 

 

 

 

林田先生のご紹介

 

 林田先生には平成21年に男女共同参画推進についてのご講演をして頂いたご縁で、今回エッセイの執筆をお願することになりました。執筆者を探しておりましたところ、林田先生のご講演を聴いた方々から、是非とも林田先生にお願いしてはとの声が上がりました。先生のご講演はご自身の体験を通じ、男女共同参画の重要性を熱くわかりやすく語られたもので、一瞬たりとも聴衆を飽きさせないお話しぶりに、流石にプロのアナウンサーは違うものだと感嘆させられました。

 林田先生はRKB毎日放送のアナウンサーを経て、9年間の専業主婦の後、再びフリーのアナウンサーとして復帰し、大野城まどかぴあ女性センター(現:男女平等推進センター)所長をお務めになりました。現在は大野城まどかぴあ館長としてご活躍中です。

 ご多忙の中、エッセイを執筆して頂き、男女共同参画推進室一同、心より感謝申し上げます。

 ご講演を残念ながら聞き逃した皆様にも、その雰囲気の一端を味わって頂けると思います。

 

 

男女共同参画推進室広報部門長 和方吉信