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2010.04.16 パイオニアプラント (農学研究院教授  井上 眞理)

パイオニアプラント



                                     井上 眞理


 九大の男女共同参画のポスターは、単子葉か針葉樹の葉を束ねたように見える。聞けば、シンボルマークの松葉をモチーフに、ジャンプし伸び広がってゆく人々をイメージしたそうだ。私には、男女が支え合った「人」という字にも見える。園芸の贅を尽くした大輪の花も美しいが、天に向かって立揃う麦穂やコニファー類の緑にも息を呑む。私の現在の専門は作物生理学である。芽生えた場所から動くことの出来ない植物は、環境ストレスに耐える様々な工夫をして次世代に遺伝子を受け渡す。作物からみれば雑草は敵でしかないが、貝塚線路脇のハマヒルガオやイネ科植物の逞しさはあっぱれである。小学生の頃、来日したばかりの野球選手のサインを同級生が貰いに行き、私はその小さなアパートの前でしゃがんで待っていた。嬉しそうに見せる彼のサインには興味なく、更地に生えた雑草の実をきれいだなと思っていた。


 農学部を卒業し、植物を扱う研究室に配属が決まった私は鋭い眼をした固い印象の一人の教授を紹介された。「腐ったモヤシの気持ちになってみろ」と、材料を無駄死にさせた時には言われた。私にはどこかに跳ねていってしまうような雰囲気があったのだろうか。文字どおり「カク・まり」コンビと揶揄されたが、私自身は密かに鷹と雀みたいなもんだと思っていた。「生きた証として」論文を書く事を肝に銘じられ、赤ペンだらけの原稿を眺めれば情けなく、タイプライターの前で涙がこぼれそうだったが、締切を守ることをたたきつけられた。私の対応が悪い時は、はっきりとそう言われ、素直に「矯正」した。


 時は移り、同じセリフを学生達に言っているが、卒業生がひょっこりと研究室に尋ねてきたり、おまけに伴侶や子供までついてきた日には、教員冥利につきる。卒論のポスター発表会が50周年記念講堂の廊下を利用して開かれ、一般公開された。学生の家族と話してしていると「お久しぶりです。学生実験ではお世話になりました」と声をかけられた。以前いた教養部は大多数の学生のめんどうを見るので、全ての学生の顔と名前を覚えているわけではないが、いつも遅くまでレポートを書いていたので私も記憶に残っていた。傍らの子供に「あなたのお母さんはまじめで、それにとても優秀だったのよ」と言うと、仕事をもつという彼女は控えめに喜び、「先生のお子さんはもうお幾つですか?」と聞いた。白衣の下の大きなお腹を覚えていたらしい。


 小さい頃の夢の延長線上で職を得た私は幸運であったが、辞めようと思ったことが二度あった。一度目は初めての子供が重い病気にかかった時、「自分がめんどうを看るから辞めちゃだめ」と母は言った。学生時代の友人が偶然いたこども病院で、生後二ヶ月の息子は奇跡的に助かった。二度目は母の余命宣告だった。「それでお母さんは喜ぶと思うのか」と恩師に言われ思いとどまり、そして8か月後に母は亡くなった。往路は大学での一日の仕事の予定と段取り、帰路は夕飯の買い物とメニューにスイッチが自然に切り替わる生活が定着した。この頃、NHK歌壇で「早朝に勤めに行く母見送りて絶対早くよと叫ぶ幼子」という父の短歌が入選した。幼稚園児はどこへでもついて行きたがった。学会では、高校時代の友人が集まり、娘は水前寺公園の大鯉と遊んだ。東京の学会では妹に預けたが、研究会でさらに遅くなると聞いた娘は、新築の床をドンドン蹴って怒ったそうだ。それでも出張は避けられなかった。10数年前の朝、布団にちょこんと座りおかっぱ頭を伏せてしくしくと娘は泣いていた。今度は遠出で無理だろうとわかったのだろう。今では、保育所を設置する学会も少なくないが、当時はあり得なかった。


 母性は、研究生活のハンディキャップとなることは否めないが、教育には必要な場が多いことを子供たちの成長とともに実感している。カナダの州立大学の女性学部長が「女性の教員が半分になるまで私は女性を採り続ける」というポリシーステートメントを宣言し、男性教授がアタマを寄せ合って「困ったもんだ」と嘆いている。圧力を跳ね返したり分散させたりするのは、女性の方が巧みかも知れない。東京で会議の終了後に法人の理事長が「だんだん男になりつつありますね」と私に声をかけた。「それは誉められているのでしょうか、貶されているのでしょうか」と尋ねると彼はニコリと笑って答えなかった。「女性だからと甘えるな、女性らしさを失うな」と言った賀来章輔教授はどんな眼をして、天空から答えてくれるだろうか。


 小学生の頃、近所に住む阪神のバッキーのアパート前で眺めた青い草の実は、更地や瓦礫に先駆けて根付くパイオニアプラントだった。中学の部活で訪れた平塚の試験場のタマネギの紫も美しかった。植物の謎を学生達と紐解きながら、小さい頃の夢を実現するすべを伝える仕事を続けられた今、力を与えてくれた多くの人々に心より感謝する。
                                        

九州大学大学院農学研究院 教授     Mari IWAYA-INOUE